神様を知らない一般の人が社会運動を行うとき、その動機、基準は、その人の感情や正義感、良心である。信仰者の社会運動は、まず神のみ意を考える。神が願われている事は何なのか。神様の創造理想を実現するプログラムの中で、今直面している現実的課題は何なのか、などである。
従って信仰者は、社会運動を推進する中で、神と対話しながら活動を展開し、社会現象の背後に神の働きを感じるのである。これを抜きにして、社会(運動)が主体になってしまい、信仰を失うようなら、社会運動はしないほうが良い。我々が行う社会運動は、我々の個人的感情や気分で行うものではなく、「地上天国を創る」という最終ゴールを見据えた、神のみ意にかなったものでなければならない。
地上天国を創るという我々の信仰的信念がなければ、自己満足で終わってしまう。
社会運動の展開
社会運動の対象となる「社会」とは?
政治・経済・教育・スポーツ・芸術・文化・趣味ありとあらゆる分野である。
私たちは、ある明確な価値観をもち、その価値観を社会に浸透させていくのである。
その価値観とは?
ために生きる文化、共生共栄共義主義、神主義(頭翼思想)、人類一家族世界など・・・
私たちはこの価値観を自分自身のものとし、自分自身が新しい価値観の結実となることを通して心情文化世界を創建するのである。